米沢藩古式砲術保存会の起源
明治に入り、明治三十八年一月八日、日露戦争旅順口陥落の市民大祝勝会が行われたが、この時市中甲冑行列と松川河原において川中島模擬合戦が行われた。(現在の川中島合戦の元祖)そしてその時に尚武要鑑会が設立され、旧米沢藩士による甲冑行列と川中島模擬合戦が四月二十八日に行われた。以後上杉神社祭礼には古式武装行列を行うこととし、昭和十八年頃まで続いた。
大正十四年十月、皇太子殿下(昭和天皇)は上杉神社ご参拝の折、三十匁筒隊の発砲を台覧された。この時、八十歳を越えた宮坂善助の祖父が発砲したのを賞賛された。
戦後の昭和三十年三月三十日米沢尚武要鑑会が再復興し、上杉神社祭礼神輿渡御行列に尚武要鑑会の武者行列、騎馬隊、鉄砲隊が加わった。